寒風が吹き抜ける大桟橋。
目の前に広がるのは、横浜が誇るみなとみらいの絶景です。
この美しい夜景を、まぁはすの子どもたちと一緒に見つめてきました。

煌めく光を前にして、子どもたちが純粋に発した「わー、きれい!なんて贅沢なんだろう」という歓喜の声。 その輝きの裏側にある「真実」に触れたとき、子どもたちの心には、教科書では決して学べない深い慈しみの感情が芽生えました。
本日は、その夜の静かな、けれど情熱的な対話の記録をお届けします。
「この電気は、どこからやってくるんだろう?」
みなとみらいの夜景に酔いしれる子どもに、私はひとつ、問いを投げかけました。

この電気は、どこからやってくるの?
どこで作られているか、知っている?
子どもは少し考え、「電線から流れてくるけれど……どこで作られているんだろう」と、夜の海を見つめました。
そこで私は、2011年に起きた出来事、東日本大震災と福島第一原発の事故について話をしました。
「今、私たちの目の前を照らしているこの電気の多くは、横浜で作られるようになった。けれど、震災前には、その多くが福島から長い距離を旅して届いていたのよ」
子どもは、息を呑むほど驚いていました。「こんなに離れているのに……」と。
光の海で感じた「罪悪感」と「祈り」
私は続けて、福島の現状についても伝えました。故郷に戻れない人たちがいること、病と闘っている人がいること。 その上で、もう一度尋ねました。
「この明かりを見て、今、どう思う?」
しばらく沈黙した後、その子の口から漏れたのは、大人の想像をはるかに超える、重みのある言葉でした。
「横浜では、こんなに綺麗な電気に囲まれて幸せな気持ちになっているのに、家を失った人や、家族と離れ離れの人、病気になってしまった人もいる。
ここだけが、こんなに幸せでいいのかな。
綺麗だって喜んだ自分が恥ずかしい。なんだか、悪いことをしているような気持ちになる」
その子の瞳には、先ほどまでの「感動」とは違う、切実な「痛み」が宿り、表情が歪んでいました。
「自分にできること」を見つけた
ここからが、子どもの凄さです。
その子は自らの内に湧き上がった葛藤を、前向きな決意へと変えていきました。
「せめて自分だけでも、少しでも節電をする。
そして、どこの街の人も、どこの国の人たちも、みんなが平等に幸せになってほしい。 もし、この世の中に神様がいるなら、どうかこの願いを叶えてほしい」
凍えるような冬の夜空に放たれた、小さくも気高い祈り。
私はその横顔を見て、これこそが、私たちが子どもたちに手渡したい「知性」の姿だと思いました。
まぁはすが目指す「学び」のカタチ
知識を詰め込むだけなら、AIやテキスト、ドリルで十分です。しかし、「目の前の美しさが、誰の、どこの努力や苦労の上に成り立っているのか」を想像し、自らの生き方を問う力は、リアルな対話と体験の中でしか育ちません。
- 現状を客観的に見る力
- 他者の痛みを、自分の痛みとして感じる想像力
- そこから「自分はどう振る舞うべきか」を導き出す思考力
夜景を見ながら節電を誓い、世界の平穏を願ったその子の心には、一生消えることのない「誠実さの種」が蒔かれたはずです。
冬の横浜の夜景は、私たちに教えてくれました。 本当の「賢さ」とは、光をただ享受することではなく、その光が照らし出す影にまで想いを馳せられる、温かな心のことなのだと。






