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― まぁはすが「体験」にこだわる理由

「うちの子、スマホばかり見ているけれど大丈夫かしら」。
そのように感じたことのある保護者の方は、少なくないと思います。
実は今、この感覚を裏付ける研究が、国内外で積み重なってきています。

東北大学の川島隆太教授の研究チームは、約220人の子どもを対象に、MRIを使って3年間、脳の発達を追跡しました。結果ははっきりと分かれました。ネットの利用習慣が少ない子どもは、物事を認知する働きに関わる大脳皮質と大脳白質が、この3年間で順調に成長していました(体積にしておよそ50立方ミリメートルの増加)。

ところが、ほぼ毎日スマートフォンを使っている子どもは、白質の体積の増加が、ほぼゼロでした。「白くなる」というよりも、「本来伸びるはずの発達が、止まってしまう」という現象です。川島教授はこれを「発達が止まった状態」と表現し、「不都合な真実」だと述べています。

白質化が進むと、脳内の神経ネットワーク通信が滞り、物忘れ、歩きにくさ、気力の低下などの症状が現れます。

同じような結果は、アメリカでも報告されています。国立衛生研究所が資金を出した大規模な追跡調査(ABCD Study)では、9〜10歳の子ども10,116人のスクリーン時間(ゲームやテレビを含む)を調べ、そのうち7,880人を2年後まで追跡しました。
すると、大脳皮質の3つの領域で、本来の発達に伴う厚みの増加が抑えられていることがわかり、この変化はADHDの症状の強さとも関連していました。

研究者自身は、「統計的には差があるが、その大きさは小さく、これほど多くの人数を調べたからこそ検出できた差だ」とも述べています。過度に不安をあおる結果ではなく、冷静に受け止める研究だと思います。

もう一つ、3〜5歳の未就学児47人を対象にした研究(Hutton等、2019年)では、テレビやタブレットも含めた総合的な画面利用の多さが、言語能力や、初期の読み書き能力の低さと関連し、それを支える脳の白質の状態にも表れていました。
ただし、こちらは相関関係であり、画面時間が原因だと証明されたわけではない、と研究者自身が述べています。

これらの研究に共通しているのは、「画面を見る時間が、子どもの脳の発達に何らかの影響を及ぼしうる」ということが、複数の独立した研究で一貫して示されている、という事実です。効果の大きさについては研究ごとに慎重な言い方がされていて、これ一つで「スマホは悪」と断定できるものではありません。

まぁはすが、12年間ずっと「体験に勝る学びなし」を掲げ、茶道や書道、囲碁、華道といった、実際に手を動かし、人と向き合う体験にこだわってきたのは、画面の中では得られないものこそが、人の育ちには必要だと考えているからです。今回ご紹介した研究は、その考えを、私たちの実感だけでなく、データが示してくれました。

少なくとも、SNSの使用規制が世界的に広がっている現状を鑑みると、デジタル機器の使いすぎによって、発達になんらかの良くない影響があることを後押ししてくれている。
 
でも・・・画面の時間をゼロにすることは、今の時代、授業や課題にもタブレット使用が進んでいるために、現実的ではないかもしれません。
  
だからこそ、「画面の外」の時間に、どれだけ本物の体験を積めるか。
そこに、まぁはすは、これからもこだわっていきます。

包丁も、掃除機も、卵の割り方も。
小さな「お手伝い」の積み重ねが、子どもの自律への第一歩になります。

12年間、夏休みには欠かさず子どもたちに「お手伝いチャレンジ」というミッションを出しています。

ところが、「どうして、親を手伝わなきゃいけないの?」と真顔で聞く子や、「掃除機、使ったことがないからわからない」「包丁なんて触らせてもらえない」という子が少なくありませんでした。
 
ならば教えましょうと、今年も、数日かけて掃除機の使い方、包丁の扱い方、卵の割り方などを伝えました。

これは子どもだけの問題ではなく、忙しい親御さんたちの現実でもあると思います。
大人がやった方が早く、きれいで、安全。その通りです。

でも、その便利さの中で、子どもたちは「家族の一員として、より良い家庭を一緒に築いていく経験」を失っていないでしょうか。

日本では昭和初期まで、子どもが家庭の中で親の手伝いをするのは、ごく自然なことでした。

特に農村部では、尋常小学校や高等小学校を卒業した後、すぐに家業の農業を手伝う子どもも多くいました。都市部であっても、商売をしている家の子どもは店を手伝い、弟や妹の世話をし、家庭の中で何らかの役割を担っていました。

子どもは、家庭や地域の中で「守られる存在」であると同時に、「役に立つ存在」でもありました。

ところが、高度経済成長期を経て、日本の暮らしは大きく変わります。
農業や家業中心の暮らしから、サラリーマン家庭へ。
三世代同居から、核家族へ。
地域で子どもを見守る社会から、家庭だけで子育てを抱える社会へ。

さらに、

子どもは「家業を手伝う存在」から、家庭の中で「教育を受け、育成される存在」へと変わっていきました。

昭和後期になると、さらに受験、塾、習いごとが入ってきます。
文科省資料では、学習塾の数は昭和61年の34,367から、平成3年には45,856、平成8年には49,586へと増えています。昭和60年の文部省調査では、学習塾に通う児童生徒は小学生16.5%、中学生44.5%に達していました。

つまり、
子どもの時間は、少しずつ「家庭の中で役割を担う時間」から、「学校外で教育を受ける時間」へ移っていったことがうかがえます。

しかし、「昔はみんな家の手伝いをしていた。今の子は手伝わない」
そう単純には言えないことを、別のデータは示しています。

昭和55年の内閣府調査では、子どもに家事や家業の手伝いを「いつもさせている」が21.2%、「ときどきさせている」が52.6%でした。

平成2年の調査でも、「毎日」30.9%、「週2〜3日」24.2%、「週1日」12.0%、「月1〜2日」5.4%と、やはり7割以上の家庭で、子どもが何らかの手伝いをしていました。

お手伝いをさせていないわけではないのです。さらに調べていくと・・・

厚生白書平成5年版では、昭和45年から平成2年までの20年間で、子どもの生活時間のうち、学業やテレビゲームなどに使う時間が増え、睡眠や家事などに使う時間が減少したとされています。

手伝いを「している」と答える家庭は多くても、子どもが家庭の中で実際に役割を担う時間は、少しずつ減っているのです。

問題は「手伝うか、手伝わないか」だけではないことがわかりました。
大切なのは、子どもが家庭や地域の中で、

「自分も役に立っている」
「自分の働きで誰かが助かる」
「自分もこの暮らしを支える一人なのだ」

と感じられているかどうかが鍵になるのではないでしょうか。

たまに言われたことを手伝うのと、家族の一員として役割を任されるのとでは、子どもの中に残るものが違います。

国立教育政策研究所は、都市化や核家族化の進展によって、子どもたちが直接体験を得る機会が減少し、働くことの厳しさや喜び、成就感や自己有用感、対人関係能力などを得る機会にも影響があると指摘しています。

また、文部科学白書でも、子どもの頃に自然体験、友だちとの遊び、地域活動、そしてお手伝いなどの体験が豊富な人ほど、大人になってからの人間関係能力、自尊感情、意欲・関心などが高い傾向が見られると紹介されています。

さらに、アメリカでも、ミネソタ大学のマーティ・ロスマン氏が2002年に発表した研究で、84人の子どもを就学前から20代半ばまで追跡した結果、3〜4歳という早い時期からお手伝いを始めた若者ほど、家族や友人との関係が良好で、学業や仕事でも早くから成果を出し、自立している傾向が見られたと報告されています。お手伝いは、しつけの一環であると同時に、子どもの能力そのものを育てる体験でもあるのです。

これは、とても大事な示唆だと思います。

子ども時代のお手伝いは、単なる家事労働ではありません。
包丁を持つ。
食器を並べる。
買い物をする。
掃除をする。
小さい子の面倒を見る。
地域の行事に参加する。

そうした一つひとつの体験を通して、子どもは、暮らしが誰かの手によって成り立っていることを覚えていきながら、誰かのために自分の力が役立つ喜びを知ります。

これは、『7つの習慣』の言葉を借りれば、依存から自立へ、そして相互依存へ向かう小さな練習なのではないかしらん。

「やってもらう人」から、
「自分でできる人」へ。
さらに、
「人と協力して、より良い暮らしをつくる人」へ。

お手伝いとは、その第一歩なのだと思うのです。

便利な暮らしは、私たち大人にとってもありがたいものです。

スイッチを押せば掃除ができる。
ボタン一つでお湯が沸く。
食べたいものは、買えばすぐに手に入る。

でも、その便利さの中で、子どもたちは
「暮らしの仕組み」を知らないまま育っているのかもしれません。

ご飯は、どうやって食卓に並ぶのか。
部屋は、誰が整えているのか。
洗濯物は、どうやって乾き、たたまれるのか。
お湯を沸かすには、何に気をつけるのか。
刃物や火は、どう扱えば危なくないのか。

日常の中で覚えるはずの小さな生活技術は、実は、いざという時に自分を助ける力にもつながっています。だからこそ、お手伝いは単なる家事ではなく、「自分の暮らしを自分で支える練習」でもあるのだと思うのです。いい例が、災害時に必要な「自助」の力の育みです。

夏休み期間中に、子どもたちと一緒に「そなエリア東京」にも行き、「東京マグニチュード8.0」の映画を見ました。フジテレビで放映されたものを映画化し、そのダイジェスト版が放映されていました。

姉弟だけでお台場に出かけたところ、大地震が襲いかかる。心細さを支えてくれたのは、一人の若きお母さんでした。いろいろな方に助けられ、何とか姉弟は困難をくぐり抜けて、無事に自宅にたどり着きお母さんと再会するという内容です。

その映画を見終わった時、子どもたちから、こんな言葉が出ました。
「自助って言われても、何をしたらいいかわからない」
「お母さんやお父さんとはぐれたら、生きていけない」
「お父さんは出張でほとんど家にいないから、お家に戻ってこられないかもしれない」
「防災グッズが、家にあるかどうかわからない」
「まだ、突っ張り棒は買っていない」
「お湯の沸かし方、知らない」
「ご飯、どうやって炊けばいいのか、わからない」

子どもたちは、不安に襲われていました。

私たちは子どもから、
「自分で自分を助ける力」
「人の役に立つ経験」
「家族と協力して困難を乗り越える力」

生きていくために必要なことを、子どもにつたえていないのかもしれません。

子どもは、勉強や習いごとだけしていればいいのでしょうか?
家庭の中でも、地域の中でも一人の担い手になれる存在として生まれてきたのではないでしょうか?

大人が、少し待ちながら、任せてみる。
失敗しても、やり直す時間を作る。
そして、できたときに心の底から喜びを分かち合う。

その積み重ねが、子どもの中に、
「自分にもできることがある」
「自分も誰かの役に立つことができる」
「自分はこの世界(社会)の一員なのだ」

という感性や徳性を育てていくのだと思います。

お手伝いは、古いしつけではありません。
これからの激動の時代を生きる子どもたちにとって欠かすことのできない、自立と協働のための小さな練習の積み重ねなのではないでしょうか?

子どもに何かを「させる」のではなく、子どもと一緒に、より良い家庭を築いていくためにも、そうした経験を積み重ねていくことで良好な人間関係も身に着けていくことができるように思います。

「えっ、わが家はどうだったかですって?」

もちろん、わが子も、より良い家庭を一緒に築いていくための大切なパートナーです。3歳頃から、一緒にお菓子を作ることから始めました。

粉をふるう。
卵を割る。
形を作る。
焼き上がりを待つ。

作りながら、いろんな話ができます。
そして、「一緒に作ったから、おいしいね」そう言いながら食べたことは、今でもよく覚えています。
子どもは、楽しいから、また次もやりたくなる。

洗濯物を畳む。
掃除をする。
食器を並べる。
お料理の盛り付けをする。

「一緒にやろうね」と言いながら、少しずつ導いていきました。何しろ、時間はあっという間に過ぎるのに、やることはてんこ盛り。猫の手も借りたいのです。

早く終われば、その分、たっぷりくつろげます。
人の役に立つことを、家庭で学ぶ。
一緒に、より良い家庭を築いていく。

やっぱり、お手伝いは、家庭でできる最高の学びなのだと思います。

「今はダメ」の一言の奥に、子どもの尊厳を守るまなざしはあるかしらん?
大人の言葉ひとつが、子どもの徳性をどう育てるかを考えます。

先日、ある学童保育での一場面を目にしました。
子どもが支援員さんに「〇〇してもいいですか?」と尋ねると、短く「今はダメ」。
 
その子は、周囲にいた友だちたちに、「ダメだって」と、伝えていました。すると、周りにいた子どもたちがその子に向かって、いろいろな言葉を投げかけていたのです。どうするのかなと、様子を見ていると、「しょうがないでしょ」と大きな声で伝え、みんなは嫌な顔をしながらも、何も言わずその場を離れていきました。

また、別の場面では、「行っちゃダメって言っただろ!」と強めの注意をしていた支援員さんがいました。転んで服を汚した子には、「鈍臭いからそうなる」という言葉も投げかけていました。

隣で見ていたまぁはすの子が、ぽつりと言いました。
「命令したり、馬鹿にされたり、子どもがかわいそう」。

安全管理のために「ダメ」「やめなさい」が必要な場面は、確かにあるでしょう。集団を動かすには、短い指示が要ることもわかります。でも。言葉は剣になり、その子の一生の傷にもなってしまうことを、彼らは理解した上で、そのような対応をしていたのか、大いに疑問を持ちました。

同時に、目の前で見た映画のワンシーンのような情景に、私の周囲にいたまぁはすの子どもたちが、彼らのことを『気の毒だ』と、感じていたことにもハッとしました。申し訳なさで居た堪れなかったことは、いうまでもありません。
 
「今はダメ」だけでは、子どもは何がいけないのか、次にどうすればいいのかを学べません。
「鈍臭いからそうなる」という一言は、転んで不安な子の心に、どんな形で残るのでしょうか。

子どもは、大人の言葉を浴びながら育ちます。
 自分は尊重されているのか、ただ管理されているだけなのか。
 失敗しても助けてもらえるのか、責められるのか。
 そういうことを、身体で覚えていきます。

「今は人が多くて危ないから、あとで行こうね」
「転んでびっくりしたね。まず着替えようか。次はどこに気をつけたらいいと思う?」
——ほんの少し言葉を変えるだけで、子どもは「なぜダメなのか」「次にどうすればいいのか」を、自分の頭で考え始めるのです。3歳の子どもだって考えます。

危険から守りながら、自分で考える力を育てること。
失敗した時、責めるのではなく、次にどうするかを一緒に考える経験を渡すこと。

禁止の言葉の中にも、考える余白を残すことはできます。
AIがシンギュラリティに入ってきた今だからこそ、2035年を待たず、目の前の子どもへ投げかける言葉の意味を、私たち大人がもう一度見つめ直す必要があることを学ばせていただいたように思います。

修身を伝える立場である私たちのあり方が、改めて問われた出来事でした。

笑顔も涙も全部丸ごと、25種類・33+αの体験を子どもたちと駆け抜けた夏。本当の学びは、ここからの振り返りにこそあります。

まぁはすの夏休みプログラム、全25種類・33+αが、大きなケガもなく無事に終わりました。まずは、それぞれのペースで一つひとつをやり遂げてくれた子どもたちに、心からほっとしています。

でも、「終わった、やれやれ」で休むわけにはいきません。私たちの本当の取り組みは、ここからが本番なのです。

一日中、子どもたちと濃厚な時間を過ごすと、普段は見えない姿がたくさん見えてきます。
 子ども一人ひとりが抱える課題。
 集団の中での関わり方。
 言葉にならない不安や、自信のなさ。
 逆に、思っていた以上の力が発揮される瞬間も。
 
それは、私たち大人の足りなさも含めて、全部が机の上に上がってくる時間でした。

私たちにとって、夏休みのプログラムは、楽しい思い出づくりのためだけにあるのではありません。
子どもたちの「今」を見つめ、これからの下半期に何をすべきかをまとめ、次の支援につなげていくための時間なのです。

見えた課題は、そのままにしません。
感じた違和感を、流しません。
子どもたちの小さな変化を、次につなげていく。
 
それが9月、私たちに課せられた仕事だと思っています。

……そう言っているそばから、6年生の子がモヤモヤを抱えていることに気づいてしまい、急きょ、夏休みが明けたというのに、アンコールプログラムを入れることにしました。

オリジナルの予定にはなかったことですし、これまで追加プログラムをしたことは一度もありません。それでも、見えてしまったからこそ、動かずにはいられませんでした。相談したときの、その子の驚きと喜びの表情は、言葉になりません。

一日中一緒に過ごしていると、言葉にならない表情や、少し沈んだ空気、何かを抱えている気配に気づいてしまうことがあります。気づいてしまったら、放っておけない。それは、私たちだけではないはずです。他の施設だって、同じようなフォロー体制はできていると思います。

それが、発達中の子どもを預かるということだからー

「本当に子どもが好きなんですね」とよく言われます。
もちろん、子どもたちはかわいいし、面白い。でも、私の中にあるのは「好き」という言葉だけではなく、彼らが置かれている環境への心配、これからどんな大人になっていくのかという気がかりです。
どこまで大人が介入すべきか、いつも悩みながら、データや研究にも目を通しています。

夏休みは終わりました。でも、子どもたちの成長は、ここからも続いていきます。
見えたことを、次につなげる。
気づいたことを、形にする。

まぁはすが大切にしている「体験」は、楽しかったで終わらせるためのものではなく、子どもたちの「今」に向き合うための入り口です。夏の終わりは、私たちにとって、次の始まりです。

ちなみに、プラスアルファプログラムを行った帰り道。
私の横を歩いていた6年生が、正面を向きながら「ありがとう」と、小さいけれど、晴々とした声で言っていました。私も「うん」と、正面を向きながら返事をしました。

子どもも、大人も、見えない部分に大切なことがぎゅっと詰まっているのです。

AIは、子どもの敵ではありません。けれど “丸投げ” は、子どもの育つ力を静かに奪っていきます。 今日は、私がいま強く感じている心配と、その奥にある研究、そして「ではどうすればいいのか」を、親御さんと学校の先生方に向けてお話しさせてください。

コロナ禍が明けたころから、塾に通う小学校高学年の子どもたちが、ふとこんなことを口にするようになりました。「宿題、AIにやらせてるよ」。

学校の宿題も、塾の課題も、AIにおまかせ。それも一人や二人ではありません。その話を聞いたとき、私は胸がぎゅっと締めつけられるような、強い心配を覚えたのです。

昨日のセミナーで、あの子たちの顔が浮かびました


先日、精神科医で作家の樺沢紫苑先生のお話を聞く機会がありました。先生のお話を伺いながら、あの子どもたちの言葉が、ふと胸によみがえってきたのです。

AIは「答えのある問いに答える」のが、とても得意です。なにしろ “人工知能” ですものね。だからこそ、人間が頼りきってしまうと、 “知性” が育ちにくくなる。人間性そのものにも影響があるのではないか——先生はそう警鐘を鳴らしておられました。

臨床から作家へ、そしてSNSでの発信へと活動を広げてこられた先生の根っこには、「予防」という想いがあるように感じました。私自身、元心理士としてカウンセリングよりも、人格形成ができる学童期の子どもたちの成長支援に軸足を移したのも、一対一の関わりに限界を感じ、「問題が起きる前に」と願ったからにほかなりません。だからこそ、先生のまなざしが、すっと胸に入ってきたのだと思います。


 

少しだけ、根拠となる研究もご紹介させていただきます。

ひとつは、2025年6月に発表された、アメリカ・MIT(マサチューセッツ工科大学)の実験です。学生さんにエッセイを書いてもらったあと、「自分が書いた内容を、どれくらい覚えているか」を調べたものでした。

正確に引用できた割合の結果:
 自分の力で書いたグループ:約89%
 ChatGPTを使ったグループ:0%
 

ただし、これは査読前の論文で、対象も54人とごく少人数です。今年に入って「再現性に乏しいのでは」という反論も出ていますから、慎重に受けとめる必要があります。それでも、AIに頼ったグループほど、自分が書いたはずの内容を思い出しにくい——その傾向が数字にあらわれていること自体は、示唆に富むと私は感じました。

もうひとつ、ポーランドの医療現場の報告も、よく似ています。
AIに3か月頼った医師が、その後、AIなしでの病変の発見率を落としていた、というのです。

大腸内視鏡の質をはかる指標が、AI導入前の約28%から、導入後はAIなしの検査で約22%へと下がったと報告されています。大人の、しかも熟練した専門家でさえ、こうなのです。育ち盛りの子どもたちは、どうなると思いますか?


大丈夫です。樺沢先生は、その答えも優しく教えてくださいました。大切なのは、自分で考え、自分の言葉で出し、間違いから学び直すこと。


「インプット → アウトプット → フィードバック」

ここで強調したいのは、「AIを取り上げましょう」という話ではありません。AIを用いる『順番』なのです。まず自分の頭で考え抜く。そのあとで、AIを “壁打ち相手” にする。この順番さえ守れば、AIはむしろ心強い味方になってくれます。逆になった瞬間に、力は育たなくなる。それだけのことなのです。

たとえば、作文の宿題。いきなりAIに「書いて」とお願いするのと、まず自分でうんうん唸りながら書いてみて、そのあとで「もっと伝わる言い方はある?」とAIに相談するのとでは、子どもの頭の中で起きていることが、まったく違います。前者では何も残りませんが、後者では「自分の考え」という芯が、ちゃんと子どもの中に残るのです。実はこれは、私がこのAIと文章をつくるときに、自分自身に課していることでもあります。考えるのは私、整えてもらうのがAI。その線だけは、譲らないようにしています。

ありがたいことに、セミナー後、少し先生と個別にお話をする時間をいただきました。そして、先生はこうもおっしゃいました。

「まずは、親がスマホやデジタル機器の使い方を見直すこと」。

ほんとうに、その通りだなと思いました。子どもは、言われたことではなく、見ていることを真似ますものね。これは大きなヒントをいただいたな、と感じています。

宿題を “片づけるもの” ではなく、”自分の頭で考え、約束したことを守る練習” に戻してあげる。それは、本物の体験の中でしか育たない力だと、私は信じています。

ご家庭で、教室で、よかったら少しだけ、意識してみてくださいね。

〜まぁはす2026 夏休みプログラムのお知らせ〜

待ちに待った、夏休み。お子さんは、何に挑戦しますか?
 

まぁはすがお届けする今年の夏休みも、例年通り、大忙しになりそうです。

猛暑だからと、冷房の効いた室内だけで止まっていると、身体がうまく働かなくなってしまいます。

もちろん、暑さの対策は必要です。

そのうえで——
体を動かすことが、体の機能を正しく働かせる鍵になります。


5〜17歳の子ども
「一日およそ60分以上、体を動かすこと」

WHO(世界保健機関)より

体を動かす習慣は、体力や骨の発達だけでなく、集中力や学ぶ力、心の健康、そして睡眠の質まで高めることが、世界中の研究で確かめられています。
 

さらに、朝から体を動かせば、お腹も空くし、ご飯もおいしくいただける。
そして、夜の眠りが深くなります。

成長ホルモンは、眠り始めの“深い眠り”のときに、いちばん多く分泌されます。日中しっかり体を動かすほど眠りは深くなり、成長ホルモンも十分に出る——

こうして、成長の“好循環”が回りはじめるのです。


ところが今、子どもたちを取り巻く現実は、その逆を向きがちです。

近ごろ、ようやく日本でも、子どもの「スマホ・SNS漬け」が大きな問題として語られるようになってきました。2025年には、愛知県豊明市が全国で初めて「スマホは一日2時間まで」を目安とする条例を定め、国(文部科学省)も、近年の学力低下の背景にスマホの長時間利用がある可能性を指摘しています。海外では、16歳未満のSNS利用そのものを禁じる国も出てきました。

スクリーン漬けが子どもに与える影響は、思っている以上に深刻です。

まず、からだ。
うつむいてスマホを見続けると、いわゆる「スマホ首(ストレートネック)」になりやすく、首には頭の重さの数倍——角度によっては小学生ひとり分にもなる負担がかかります。成長期はまだ筋力が育ちきっていないぶん、姿勢のゆがみや視力の低下にもつながっています。
 
先日、精神科医で作家の樺沢紫苑先生のセミナーに参加をし、その後個別でもお話をさせていただきました。先生によると、スクリーン漬けどころか、AIを使用すればするほど知性が下がることが、海外の研究でも明らかになってきているとおっしゃっていました。
 

さらに、脳科学者の川島隆太教授(東北大学)は、およそ7万人の子どものデータから、スマホを長く使う子どもほど学力が低く、使うのをやめた子どもは成績が上がっていくことを示しました。さらに、家で2時間以上勉強しても、スマホを3時間以上使っているとその学習効果が消えてしまう、と2013年から報告を出されています。また、脳の白質化にもなっている。
 
スマホを見ている間は、思考・集中・がまんする力をつかさどる「前頭前野」がほとんど働かず、毎日使い続けると、その発達まで広い範囲で止まってしまうことがわかっています。

 
つまり——どんなに塾に通っても、スマホ漬けでは成績は伸びにくいのです。

 
おまけに、ネットやゲームの長時間利用は、「寝ない・食べない・動かない」を招きやすいといわれます。眠りは浅くなり、食はおろそかになり、体を動かさなくなる。すると、先ほどの“好循環”が、まるごと逆回転してしまうのです。


まぁはすでは。
普段、会えない人に会いにいく。
普段、行けないところに行く。
普段、できないことに取り組む。

そして、子どもたちが「やりたい」と思ったことを、とことんやる。

体も、心も、頭も。ぜんぶ使って過ごす夏は、成長を大きく加速させます。

さぁ、今年は、どんな“驚き顔”が見られるでしょうか。
それが、私たちの楽しみであり、エナジーです。

 
▼ お問い合わせはお気軽に! tel. 045-567-0932
夏休み限定募集5名枠も現時点で残り3名となりました。

2026年夏休みプログラム

挨拶は、子どもが相手に最初に手渡す “贈りもの” です。 美しい挨拶を育てることは、お行儀を教えることではありません。相手を思う心——人間力の土台である「徳性」——を育てることだと、わたしは12年、子どもたちのそばで感じてきました。

教室に来たばかりのころ、目を合わせられず、消え入るような声で「…ちわ」と言うのがやっとだった子がいます。それが少しずつ、ある日とうとう、まっすぐこちらを見て「おはようございます」と言えた。たったそれだけのことなのに、その子の世界がひとつ、ふわりと開いた瞬間でした。挨拶は、その子が「わたしはここにいて、あなたとつながりたい」と世界に差し出す、いちばん最初の合図なのだと思います。

人は、出会ったほんの一瞬で相手の印象を決めてしまいます。ある研究では、人の顔を見てから およそ0.1秒で「この人はどんな人だろう」という判断が始まるとされています(Willis & Todorov, 2006)。しかも、最初に抱いた印象はあとから覆りにくい。心理学で「初頭効果」と呼ばれる働きです。

つまり挨拶は、人間関係の “入口” にとどまりません。その関係そのものの土台を、最初の数秒で決めてしまう一手 なのです。だからこそ、子どものうちに、心のこもった挨拶を育ててあげたいと考えています。

「もっと大きな声で!」——つい、そう言いたくなります。でも、声の大きさは挨拶の本質ではありません。

わたしが “美しい挨拶” と呼んでいるのは、形(所作)と心(相手を思う気持ち)が、ひとつになった挨拶 です。

どれも難しい技術ではありません。大切なのは、上手かどうかではなく、「あなたを大切に思っています」という心が、自然と形になっているか。声は小さくても、心のこもった挨拶は、ちゃんと相手に届きます。これは、相手を思う「徳性」と、間(ま)や所作の美しさを感じ取る「感性」が、いっしょに育つ時間でもあるのです。

特別な練習はいりません。むしろ、いちばん効くのは親御さんの後ろ姿です。

  1. 親が先に、ていねいに挨拶する。 子どもは「言われたこと」より「見たこと」を真似ます。ご近所の方へ、配達の方へ。その一言を、子どもはよく見ています。
  2. 「挨拶しなさい」より、できたときに認める。 「いまの挨拶、気持ちよかったね」。叱って身につくものではなく、認められて育つものです。
  3. 完璧を求めない。 小さな声でも、目が合っただけでも、それは確かな一歩。今日できた分を、まるごと喜んであげてください。


この夏のプログラム初日、子どもたちと向き合って、わたしたちが最初に感じ取るのも、やっぱり挨拶です。本物に出会う17日間の、その入口にも、いつも挨拶があります。

足すのではなく、あるものに光と水を。 どの子の中にも、人を思いやる温かさは、もう在ります。挨拶は、その温かさが世界に届く、最初の小さな窓。わたしたちは、その窓をそっと開く手伝いをしているだけなのかもしれません。

子ども教室まぁはすでは、こうした「本物の体験」を通して、子どもの人間力(徳性・感性・知性)を育てています。教室の様子を見てみたい方は、ぜひ一度、体験にいらしてください。

設立当初から、親御さんの気になる行動があります。
それは、お迎え時間に「今日は、何をやったの?」という言葉です。

時々、メールでも「子どもが報告をしてくれません」とか、「こんな報告を受けています」などの言葉も見受けられます。 

子どもは部下ではありません。
ましてや、大人の所有物でもありません。
一人の独立した、尊厳のある人間なのです。
 
 
大人が上に立って「導く」のではなく、
同じ目線で、一人の人間として対等に向き合う。
  
それこそが、私たちが大切にしている子育ての本質であり、師匠から受け継いだ「場作り」の根底にあるものです。
 

どうやったら、見えない才能(潜在能力)を開花させるかと躍起になって、大人も含め、他者評価依存に晒されていませんか。

時として、親のご機嫌を取るために、子どもは「なかったことを作りあげ、親御さんに伝えることもあります。なぜそうなるのか、これまで言葉を濁してきたこともありますが、はっきりとお伝えした方が良さそうです。

それは、親との間に距離を感じているからです。事実、まぁはすの子どもたちからはこんな言葉をよく聞きます。

親は、自分の表面しか見ない。
どんなに悩んでいても、困っていても、
それを解決するヒントも与えることなく、責める。

高学年になると、語彙力も増えます。
そうすると、「領海侵犯だ」という言葉を使う子どもいます。

平和学習にも取り組んでいますので、子どもたちの語彙力は飛躍的に伸びるのでしょう。


では、そんな子どもたちは、私たちに対してはどうするかといえば、、、
大人が聞かずとも、なんでも話をしてくれます。

そうした心の安定、安心があるからこそ、子どもは目を輝かせ、自分の可能性を広げていきたいと思うようになっていくのだと思います。

つまづいたって、いいじゃないですか。
途中で、止まってもいいじゃないですか。

子どもの可能性を伸ばしたいと願いながら・・・
 なぜ、みんなと同じように振る舞わせたり、
 なぜ、みんなと歩調を合わせないといけないのでしょうか。

そうしたことは、AIが最も得意としていることなのに。

  
共働きが悪いとは言いません。私もワーカーホリックでした。(今でもそうかもしれません)
 
しかし、せっかく、あなたを選んで、あなたの元に生まれてきた子どもと良好な関係を築かなければ、子どもが大人になった時、パワーバランスが逆転をした時に、どうなると思いますか?

 
あなたの命の灯りが消える直前まで、温かな安らぎを覚えるように家族と一緒に過ごしていたいですか?
  
もしも、それを願うのであれば、少なくとも子どもが10歳になるまでには、良好な関係を築いておかれることをお勧めします。 
 

どんな将来を描きたいか。
どの道を、誰と歩むのか、選ぶのは親であり、子ども自身です。

現在、私は「まぁはす」の子どもたちのためのクラウドファンディングに挑戦しています。

目標800万円という大きな挑戦ですが、正直に告白すると、現時点での達成率は「3%」と非常に厳しい状況にあります。

先日、あるビジネスコンサルタントの方から鼻で笑われました。「その想いだけでやるなんて無謀だ」「呆れちゃうね」と。 今日は、その言葉を受けて私が何を思い、なぜ絶対にこの挑戦を諦めないのか、本音をお話しさせてください。

「現時点で3%なんて、呆れちゃうね」 コンサルタントの方からのその言葉を聞いた時、私は悔しくて、情けなくて、心が折れそうになりました。ビジネスの世界、数字の世界から見れば、彼らの言う通り「無謀な挑戦」なのかもしれません。

しかし、その時に、私ははっきりと気づいたのです。

私は、打算で動く人たちや、「自分たちのグループの利益になるか」でしか人を判断しない人たちに認めてほしくて、まぁはすを立ち上げたわけではない、ということに。

困っている人がいたら、条件などつけずにスッと手を差し伸べる。

「身内だから」
「得になるから」

と区別するのではなく、ただ人としての温かみで動く。

私は、そんな打算のない「本物の繋がり(徳性)」を持った方々と一緒に、子どもたちの未来をつくりたいのだと強く再確認しました。

これまで私は、役員秘書や人事として多くの経営者と接し、同時にまぁはすの現場で子どもたちと向き合ってきました。

そこで見てきたのは、親の「条件付きの期待」に応えようと頑張りすぎた結果、ある日突然心が折れてベッドから起き上がれなくなる若者たちの姿です。

「いい学校に行けば、いい会社に入れば幸せになれる」というレールは、すでに崩壊しています。

AIがどれだけ進化しても、人として大切なことがあります。

「人間力」です。

誰かを思いやる感性、
深く考える知性、
そして見返りを求めない徳性。

この「人間力」さえあれば、どんな時代になっても、人は自分の足で立ち上がり、仲間と助け合って生きていくことができます。

だからこそ、大人である私たちが「打算のない繋がり」を子どもたちに見せなければいけないのです。

私が今回出版するKindle書籍『AI時代を生き抜く「人間力」の育て方』には、私が12年間で培ってきた「本物の教育」のすべてを書き記しました。

この本を、一人でも多くの方に届けるため、

5月21日(水) 20:00〜23:59まで
【無料ダウンロードキャンペーン】を実施します。

👉 https://www.amazon.co.jp/dp/B0H1RJQTZ6

まずは、私の想いを込めたこの本を、無料で受け取ってください。 そして、もし本を読んで「少しでも共感した」「自分の子育てや部下育成のヒントになった」と思っていただけたなら、一つだけお願いがあります。

浮いた本代(書籍代)を、どうか『まぁはす』の子どもたちの未来のために「恩送り(Pay it forward)」していただけないでしょうか?

現在挑戦しているクラウドファンディングでは、経済的に厳しい環境にある小学生10名に、1年間の無償教育(居場所と体験学習、カウンセリング)を提供することを目指しています。

個人の皆さまの3,000円からの「応援コース」はもちろん、企業の皆様に向けた「公式スポンサー枠(出張研修や参謀サポート)」もご用意しています。

👇 クラウドファンディングのご支援はこちらから

https://camp-fire.jp/projects/937770/view


クラウドファンディングの終了は6月28日です。
呆れられても、笑われても、私は絶対に諦めません。

損得抜きで、子どもたちの未来のために共に歩んでくださる「本物の温かい心」を持ったあなたからのご支援を、心よりお待ちしております。

ツイキャス「まぁはす あっちゃん」開始のお知らせ

「もっと早く寝かせなきゃ」
「どうして宿題をやらないの?」

日々の育児の中で、私たちはいつの間にか「正しさ」や「成功」という物差しで、自分と子どもを縛りつけてしまいがちではありませんか?

それって、本当に正しいのでしょうか?
成功って、何を指しているのかしらん?

誰かの言ったことをわが子に当てはめても、うまくいくはずがないのです。

人は、遺伝と生育環境によって、生き方そのものさえも変わるのですからー
 
「子どもの才能を伸ばせる親になりたい!」
そう思い始めてから、ようやく私は発達や心理、体のことを学び始めたのです。

 
その結果、育児にとって、本当に大切なことは正解を求めたり、借り物競走をすることではなく、子どもや親の内側にある「良さ」に光を当てることでした。
 

夜の静かな時間に、ふらりと遊びにきてください。

🎙 ツイキャス「まぁはす あっちゃん」を聴く
※ 毎週木曜日 21:00より生配信


この配信の目的は、立派な親になるための教育論を振りかざすことではありません。

画面越しに、温かい飲み物でも片手に。

肩の力を抜いて、お子さんのありのままの姿を愛せる「心のゆとり」を、皆さんと一緒に育んでいきたいと願っています。


一日の終わりに。

「あっちゃん」の部屋へ、ふらりと遊びに来るような感覚で覗いてみてください。

あなたのご参加を、心よりお待ちしています。

I had the good fortune to travel in over 100 countries.
As I consulted an opportunity to work with many decision makers, and helping to improve their results.

My goal to support improvement of children’s education.

I have seen many companies and governments struggle to give their children excellent education and taking excellent care of their children.

Until this time, as I visited in Yokohama, I saw I observed the high quality and
results of the Mahasu’s program.

The course improved children’s identity, humanities and knowledge.
This created very balanced and emotional strong children.

It is as easy as taking materials our box and children learn to study.
I encouraged to seriously consider those programs to use in your classroom.

Roice N. Krueger
Honorary Advisor

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(意訳)

私はこれまでに、100以上の国を旅するという幸運に恵まれました。
そして、多くの意思決定者と一緒に仕事をする機会があり、彼らにより良い結果を出すための手助けをしてきました。

私の目標は、子どもたちの教育を改善することです。
なぜならば、多くの企業や政府が、彼らに優れた教育を提供し、素晴らしい大人へと導くことに苦労しているのを見てきたからです。

今回、横浜にある、まぁはすを訪れた際、彼らのプログラムの質の高さに驚きました。
彼らのプログラムは、子どもたちの個性や人間性、さらに知識を向上しており、どの子もバランスの取れた感情豊かな子どもへと成長をしているのです。

箱から教材を取り出すだけで、子どもたちが自然と学習できるように作り込まれているのです。
つまり、教育の現場では、子どもの興味関心を引き出し、主体的な学びを促すことが求められます。
教材の準備をはじめ、子ども一人ひとりのニーズに寄り添いながら、最適な学習環境を整え、提供していく必要があります。そのプログラムが、まぁはすにはあるのです。

ですから、私は、このプログラムをクラスで活用することを真剣に検討していただきたいと考えています。

ロイス N. クルーガー
名誉アドバイザー

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まぁはすとの出会いが無ければ今頃どうなっていたのだろうと考えると、冷や汗が出てきます。
我が家ほどまぁはすにどっぷりとお世話になった親子はいなかったのではないかと自負しています。
子供の成長支援はもちろんのこと、健やかな成長のための様々な情報を共有頂いたり、親子の関わり方にも多大な影響を受けました。

まぁはすで脳に沢山汗をかいて日々過ごす中で、「自分の頭で考え、自分の意見を持って話し合い、解決するという思考が身についたこと」これがとても大きかったです。
学校の先生からはクラスでトラブルになった際に調整役をしてくれていると聞き、入学時には全く逆の立場(調整されている方)だったので、その成長ぶりに驚いています。

中学受験に臨む前、まぁはすの学習支援で取り組んだ「要約」のおかげで国語に大変力がつきました。

また、後半になると勉強漬けの日々になり大人でも辛いほどですが、自分で勉強のスケジュールをたてて眠くても疲れてもやり遂げていました。結果、本人が熱望する学校に進むことが出来、頑張りは裏切らないことを学べたと思います。

まぁはすで優しくて自分と真剣に向き合ってくれる信頼のできる沢山の大人(講師)と関わりを持ち、6年間で心に沢山の栄養を頂けました。
また“まぁはすスペシャルイベント”は本当に楽しみにしていて、これがあるからまぁはすは最高だよ!と心待ちにしていました。
(高学年になると学童に行きたがらないという話を耳にしますが、まぁはすには全くあてはまりませんでした。)
これらの経験を通して、子供が視野を自由に広げ、様々なことに挑戦しやり抜く力、異なる意見にも耳を傾け相手の立場を考える心が育ったと考えています。

まぁはすでの6年間は色々なことがあり過ぎて一言では語れませんが、感謝しかありません。本当に有難う御座いました。

6歳〜12歳の人格形成で大きな影響を与える時期に、まぁはすへ通い、様々な事が成長しました。
低学年の頃は、学校でもよく問題行動を起こし、仕事中に先生からの電話をしょっちゅう受けていました。
それでもかわさきさんが根気よく寄り添い、じっくり考える時間を与え、自分の頭で答えを導き出す事に導いて下さり、学校の評価は全く変わりました。
そして、6年生の個人面談では褒められる事ばかりになりました。
クラスを良くしようと、とても考えてくれている。男女に少し距離が出てくる年頃だが、別け隔てなくコミュニケーションを取ってくれるので、クラス皆が仲が良い。
何か感想を述べる時も、「いいと思います」だけでなく、「ここが、このようにいいよね。だけど、こうしたらもっと良くなるんじゃない?」と、より深く考えてくれる。
先生はかなり助けられていて、彼に感謝しています。
と、言って頂きました。
その絶大なる信頼の結果、卒業式の日、一番最後の合唱の指揮者に選ばれました。クラスだけでなく、学年の代表として選ばれたのです。
式の後で先生に伺った所、我が子しかいないと、誰(全教員)も異議なしだったそうです。

家庭では、家事を手伝いではなく当番制で、行えるようになりました。洗濯、料理を中心に、ほぼ何でも出来、アイロンもお裁縫もお手の物なので、ひとり暮らしもいつでも出来るレベルとなりました。

このようになるまで小学生で成長したのは、学校や家庭の中だけではとても難しかったと言わざるを得ません。まぁはすに通ったからこそだと、家族で一致しています。

人としての成長は、学力が疎かになる事もなく、寧ろ効率よく時間が使えるようになるので、悪い事はひとつもありません。
我が家の子のような体験を、沢山のお子さんが経験してくれたらいいなと、願うばかりです。

年齢に合ったアプローチをして下さっているし、親の知らない子育てに関する幅広い情報を
沢山教えてくださるのでありがたいです。

子どもも、学校とセットで、まぁはすに通うことが当たり前になっています。

自己主張するようになったこと。

自分で選べなかったり、決めることができなかったのですが、「こうしたい」「これはやりたくない」と言えるようになりました。

家でも学校でもない第三の場所として、自分らしさ、ありのままの自分を出せる場所です。

多様なプログラムをご用意頂いているばかりではなく、講師の質(人間性、指導方針含めた)も素晴らしいので、子どもの良き心が育まれているので、親としては安心です。

自分で考える力や、問題を解決する力が飛躍的に伸びます。

茶道、華道、囲碁、書道のプロによるレッスンが週替わりで行われたりスキー教室や海水浴、大使館、美術館などの豊富なプログラムがあり、
他の施設では真似できないような体験を通して、子どもは礼儀作法や思いやり、チャレンジする楽しさを学んでいます。

好奇心が旺盛になってきたのも嬉しいです。

運営の方の人脈が広く、着付けやSNSのプロの方などから話を聞く機会もあり、いろいろな可能性に触れられる場所だと感じています。

いろんなお話ができるので、親としても学ぶことができて助かります。

悩んだ時も気持ちに寄り添ってくださるので、安心して相談ができます。

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