
挨拶は、子どもが相手に最初に手渡す “贈りもの” です。 美しい挨拶を育てることは、お行儀を教えることではありません。相手を思う心——人間力の土台である「徳性」——を育てることだと、わたしは12年、子どもたちのそばで感じてきました。
教室に来たばかりのころ、目を合わせられず、消え入るような声で「…ちわ」と言うのがやっとだった子がいます。それが少しずつ、ある日とうとう、まっすぐこちらを見て「おはようございます」と言えた。たったそれだけのことなのに、その子の世界がひとつ、ふわりと開いた瞬間でした。挨拶は、その子が「わたしはここにいて、あなたとつながりたい」と世界に差し出す、いちばん最初の合図なのだと思います。
人は、出会ったほんの一瞬で相手の印象を決めてしまいます。ある研究では、人の顔を見てから およそ0.1秒で「この人はどんな人だろう」という判断が始まるとされています(Willis & Todorov, 2006)。しかも、最初に抱いた印象はあとから覆りにくい。心理学で「初頭効果」と呼ばれる働きです。
つまり挨拶は、人間関係の “入口” にとどまりません。その関係そのものの土台を、最初の数秒で決めてしまう一手 なのです。だからこそ、子どものうちに、心のこもった挨拶を育ててあげたいと考えています。
「もっと大きな声で!」——つい、そう言いたくなります。でも、声の大きさは挨拶の本質ではありません。
わたしが “美しい挨拶” と呼んでいるのは、形(所作)と心(相手を思う気持ち)が、ひとつになった挨拶 です。
どれも難しい技術ではありません。大切なのは、上手かどうかではなく、「あなたを大切に思っています」という心が、自然と形になっているか。声は小さくても、心のこもった挨拶は、ちゃんと相手に届きます。これは、相手を思う「徳性」と、間(ま)や所作の美しさを感じ取る「感性」が、いっしょに育つ時間でもあるのです。
特別な練習はいりません。むしろ、いちばん効くのは親御さんの後ろ姿です。
この夏のプログラム初日、子どもたちと向き合って、わたしたちが最初に感じ取るのも、やっぱり挨拶です。本物に出会う17日間の、その入口にも、いつも挨拶があります。
足すのではなく、あるものに光と水を。 どの子の中にも、人を思いやる温かさは、もう在ります。挨拶は、その温かさが世界に届く、最初の小さな窓。わたしたちは、その窓をそっと開く手伝いをしているだけなのかもしれません。
子ども教室まぁはすでは、こうした「本物の体験」を通して、子どもの人間力(徳性・感性・知性)を育てています。教室の様子を見てみたい方は、ぜひ一度、体験にいらしてください。
冒頭の写真を見て、「一体、何をやらせているんだ」と思った親ごさんへ。
もしも、まぁはすが一般的な学校や習い事教室なら、先生たちはすかさず、このように叱るでしょう。
「ふざけないで、ちゃんと座りなさい!」
「道具で遊んではいけません!」
でも、私たちは叱るどころか「すばらしい!」と、褒め称えます。
なぜなら、卒業していった子どもたちも、みんな彼女と同じことをしてきたからです。
常識的な使い方を無視し、目の前のモノを使って、自分の感じたことを表現する。
これこそが、私たちが最も大切にしている「感性」が育まれる瞬間であり、「個性」が産声を上げる瞬間だからです。

ここで、皆さんと一緒に考えたいことがあります。
なぜ、他の場所では、子どもたちの『尊い成長の瞬間』を、大人が潰してしまうのでしょうか?
そこには、大人の「言葉」と「行動」の決定的な矛盾があります。
世の中の大人たちは、子どもたちにこう言います。
「自分の頭で考えなさい」
「あなたらしく(個性)生きてほしい」
「今この瞬間を楽しんでほしい」
どれも、ショーウィンドウに飾るような、とても美しい言葉です。
しかし、現実はどうでしょう?
実際に子どもが「自分の頭で考えて」、枝を角に見立て、「自分らしく」振る舞い、その瞬間を全力で「楽しんで」いると、どうなるか。
「ふざけるな」と怒られるのです。
おかしいと思いませんか?
「個性が大事」と言いながら、いざ個性が発揮されると「枠からはみ出すな」と怒る。
この大人の矛盾こそが、子どもたちの才能を枯らせている元凶です。

その「とんがり」の矯正は、本当に必要なのでしょうか?
私たちは、いわゆる「手のかかる子」を歓迎します。
そんな「変わった子」と呼び、矯正施設のように「地球人の枠」に押し込めるのは、もうやめましょう。
人類は今、月や火星を目指している時代です。未来を作れるのは、常識に囚われない彼らのような存在です。
彼らが必要としているのは、管理される環境ではありません。
「その角、かっこいいね!」と面白がってくれる仲間と環境です。

親のために、先生のために、行儀よく振る舞う「ショーウィンドウの中の人形」のような子ども時代。
そんな退屈な時間は、もう終わりです。
泥にまみれ、木に登り、失敗し、腹を抱えて笑う。
添加物のない本物の食事で、脳と体を作り変える。
そして、自分だけの「角」を誇らしげに生やす。
そんな「宇宙人」と呼ばれている君、来たれ!
ここ「まぁはす」では、既存の価値観でいう「変な行動」は、怒られる対象ではありません。
自分の才能を押し殺して、「良い子」を演出する必要もありません。
本来は、それこそが褒められるべき才能なのです。
さあ、その愛すべき「角」を生やしたまま、遊びに来てください。
既存の常識を、一緒にひっくり返しましょう!
私たちが子どもたちを外に連れ出すとき、そこには必ず「目に見えるものから、目に見えない背景を読み解く」という意図をもち取り組んでいます。
多くの校外学習は、知識を確認する作業(例「あれが〇〇だよ、覚えた?」)になりがちです。しかし、まぁはすでは、以下の3つのステップで子どもたちの内面にアプローチします。
まずは、ありのままを楽しみます。横浜の夜景を見て「綺麗だね」「贅沢だね」と感じる心を、否定せずに丸ごと受け止めます。このプラスの感情の土台があるからこそ、その後の問いが深く刺さるのです。
感動のピークに、私たちはあえて「なぜ?」「どこから?」という問いを投げかけます。
横浜の光が福島の痛みと繋がっていることを知ったとき、子どもは激しい葛藤を覚えます。 「綺麗だと言っていいのかな?」という罪悪感。 私たちはその揺らぎを大切にします。
葛藤があるからこそ、「じゃあ、自分はどう生きたいか?」という、自分なりの答え(今回の場合は節電や祈り)が生まれるからです。
教科書やニュースの映像でも、震災やエネルギー問題について学ぶことはできます。しかし、それはどこか「テストのための知識」や「他人事」になりがちです。
これらがセットになったとき、知識は「血の通った体験」へと変わります。 大桟橋で「節電をしよう」と誓ったあの子は、家で電気を消すたびに、横浜の夜景と福島の空を思い出すでしょう。そのとき、節電は「我慢」ではなく、「世界との繋がりを大切にする誇りある行動」に変わるのです。
私たちが育てたいのは、ただ偏差値が高い子どもではありません。
「自分の幸せが、誰かの支えによって成り立っていること」を想像し、感謝し、そして自分にできる貢献を考え、行動につなげられる子どもです。
この「慈しみのある知性」こそが、AI時代においても、どんなに社会が変わっても、人から愛され、社会をより良くしていくリーダーの資質だと信じています。
「この世界は、見えない糸で繋がっている。」
その手触りを感じさせること。それが、まぁはすの校外学習のあり方です。
寒風が吹き抜ける大桟橋。
目の前に広がるのは、横浜が誇るみなとみらいの絶景です。
この美しい夜景を、まぁはすの子どもたちと一緒に見つめてきました。

煌めく光を前にして、子どもたちが純粋に発した「わー、きれい!なんて贅沢なんだろう」という歓喜の声。 その輝きの裏側にある「真実」に触れたとき、子どもたちの心には、教科書では決して学べない深い慈しみの感情が芽生えました。
本日は、その夜の静かな、けれど情熱的な対話の記録をお届けします。

この電気は、どこからやってくるの?
どこで作られているか、知っている?
子どもは少し考え、「電線から流れてくるけれど……どこで作られているんだろう」と、夜の海を見つめました。
そこで私は、2011年に起きた出来事、東日本大震災と福島第一原発の事故について話をしました。
「今、私たちの目の前を照らしているこの電気の多くは、横浜で作られるようになった。けれど、震災前には、その多くが福島から長い距離を旅して届いていたのよ」
子どもは、息を呑むほど驚いていました。「こんなに離れているのに……」と。
「この明かりを見て、今、どう思う?」
しばらく沈黙した後、その子の口から漏れたのは、大人の想像をはるかに超える、重みのある言葉でした。
「横浜では、こんなに綺麗な電気に囲まれて幸せな気持ちになっているのに、家を失った人や、家族と離れ離れの人、病気になってしまった人もいる。
ここだけが、こんなに幸せでいいのかな。
綺麗だって喜んだ自分が恥ずかしい。なんだか、悪いことをしているような気持ちになる」
その子の瞳には、先ほどまでの「感動」とは違う、切実な「痛み」が宿り、表情が歪んでいました。
ここからが、子どもの凄さです。
その子は自らの内に湧き上がった葛藤を、前向きな決意へと変えていきました。
「せめて自分だけでも、少しでも節電をする。
そして、どこの街の人も、どこの国の人たちも、みんなが平等に幸せになってほしい。 もし、この世の中に神様がいるなら、どうかこの願いを叶えてほしい」
凍えるような冬の夜空に放たれた、小さくも気高い祈り。
私はその横顔を見て、これこそが、私たちが子どもたちに手渡したい「知性」の姿だと思いました。
夜景を見ながら節電を誓い、世界の平穏を願ったその子の心には、一生消えることのない「誠実さの種」が蒔かれたはずです。
冬の横浜の夜景は、私たちに教えてくれました。 本当の「賢さ」とは、光をただ享受することではなく、その光が照らし出す影にまで想いを馳せられる、温かな心のことなのだと。
「あっちゃん、お花が咲いているよ!」

元気いっぱいに来所した子が、玄関のインターフォン越しに弾んだ声で教えてくれました。 急いで外へ飛び出してみると、そこには鮮やかな「ガザニア」が一輪、誇らしげに咲いていました。
このガザニアには、小さなお話があります。
もともとは、ご近所のお庭で愛されていたお花でした。しかし、あるご事情で伐採されることになり、「お花がかわいそう……」と思わず口にした私に、持ち主の方が「育ててくれるなら」と分けてくださったのです。
「でもね、越冬できるかはわからないわよ」
そう言われて譲り受けたガザニア。実は関東の冬を越すのはとても厳しく、霜に当たっただけでも枯れてしまうほど繊細な性質を持っています。ところが、まぁはすのガザニアは、雪が積もっても、凍えるような朝でも、なぜかずっと元気なのです。
それはきっと、毎日この花を「わあ、きれい!」「咲いたよ!」と優しい眼差しで見守ってくれる、子どもたちの温かな心のエネルギーが届いているからに違いありません。
「早く、早く」の向こう側にあるもの
私たちはついつい、日々の忙しさの中で「早く、早く!」「そんなことより、こっちを先に!」と、子どもたちを急がせてしまいがちですよね。効率を求め、最短距離で正解に辿り着こうとする……それは、生成AIが得意とする「最適化」の思考かもしれません。
けれど、お子さんがふと足を止め、「お花が咲いた!」と心を動かす瞬間。 そのとき、お子さんの内側では、生成AIには決して持つことができない「豊かな感性」が芽吹き、育っているのです。
世界でたった一人の「自分」を創るために
効率よく知識を詰め込むことよりも、こうした小さな変化を愛で、驚き、感動すること。 この「道草」のような時間こそが、お子さんの心に深い栄養を蓄え、誰にも真似できない世界でたった一つの『自分』を作り上げていくのです。
ガザニアの花言葉には「あなたを誇りに思う」という意味があります。 小さな花の変化に気づける、その瑞々しい感性を持つお子さんを、私たちも「誇り」に思いながら、大切に見守っていきたいですね。
日々の忙しさの中で、私たちはつい、目の前の成果や分かりやすい結果を求めてしまいがちです。しかし、少し立ち止まって、子どもたちの未来に繋がる本当に大切なことについて、一緒に考えてみませんか?
今年もノーベル賞が発表される時期になりました。
ノーベル賞受賞者の言葉には、これまでも幾度となく深く感銘を受けましたので、ご紹介をします。
多くの方は、自身の研究を振り返り、このようにおっしゃっています。
「私の研究は、始めた当初、一体何の役に立つのか、誰にも分かりませんでした。ただ純粋な好奇心に導かれ、何十年も探求を続けた結果、想像もしていなかったような発見に繋がったのです。」
このお話、即戦力や短期的な成果を重視する方々には、少し耳の痛い話かもしれません。
しかし、これこそが物事の本質を突いているように思えてなりません。
それは、私たちの子育てや教育のあり方にも、大切なヒントを与えてくれているのではないかということです。私たちは子どもたちに対し、「すぐに役に立つこと」や「目に見える成果」を求めすぎてはいないでしょうか。
「早く計算ができるようになってほしい」
「テストで良い点を取ってほしい」と願うあまり、子どもが持つ、すぐに結果には結びつかないかもしれない純粋な好奇心や探求心の芽を、無意識のうちに摘んでしまってはいないでしょうか。
あるベストセラーを量産している編集長が、こんな嘆きを口にされていました。
「もう何十年も前から、出版業界では目の前の楽しさ、分かりやすさ、手っ取り早さが求められ、答えだけが書いてあるハウツー本ばかりが作られています。その結果、日本人の読解力も国語力も低下する一方です。これは非常に大きな問題です。」
これもまた、先ほどの基礎研究の話と驚くほど似ているとは思いませんか?
すぐに答えが手に入り、失敗しない方法が示されている「子育てのハウツー本」や「学習ドリル」。
もちろん、それらが助けになる場面もたくさんあるでしょう。
しかし、そればかりに頼ってしまうと、子どもたちはどうなるでしょうか。
じっくりと自分の頭で考え、試行錯誤し、時には失敗しながらも本質に近づいていく…という、最も大切な学びのプロセスを経験する機会を失ってしまうかもしれません。
手っ取り早い「答え」は、深い思考力や応用力、そして困難に立ち向かう力を育む機会を奪ってしまう危険性があるのです。
子どもたちの「これ、なあに?」という問い。夢中になって何かを集めたり、一見無駄に見えるような遊びに没頭したりする時間。それら一つひとつが、彼らにとっての壮大な「基礎研究」です。
その研究が、将来どのような「発見」に繋がるのかは、誰にも予測できません。もしかしたら、私たちが想像もつかないような、全く新しい分野で花開く才能の種なのかもしれません。
私たち大人の役目は、その研究の成果を急かしたり、評価したりすることではなく、子どもが心ゆくまで探求できるよう、その環境を温かく見守り、応援することではないでしょうか。
答えをすぐに与えるのではなく、一緒に考える。
失敗を責めるのではなく、再挑戦を励ます。
そのような関わりこそが、子どもたちの内なる力を信じ、彼ら自身の力で未来を切り拓いていくための、何よりの土台となると私は信じています。
子どもたちの可能性という、この世で最も価値のある「基礎研究」に、長い目で見守りながら、じっくりと関わっていきませんか。
みなさん「国立映画アーカイブ」は、ご存知ですか?
東京駅から徒歩10分程度の場所にある
夏休みに、子ども向けの映画鑑賞会に初めて行ってきました!
東京駅から歩いて10分…のはずが、暑すぎて地下通路を歩いたら、迷子寸前🤣でも、見上げたら目の前にあった!っていう面白ハプニングも夏の思い出でした!
今回観たのは、手塚治虫さんの虫プロダクション制作の2作品。特に、やなせたかしさんの「やさしいライオン」は、本当にすごかったので、ぜひ皆さんにもご覧いただきたいです。映画と絵本ではストーリが少し異なるようです。
子どもを亡くした母犬ムクムクと、みなしごライオンのブルブルの深い絆を描いた物語。ムクムクの子守唄を聞いて、ブルブルは誰よりも優しいライオンに育っていきました。ところが、ブルブルがサーカスに入れられて親子は離れ離れになってしまいました。
映画に出てくる「この世の中は、人間の都合のよいようにできているのよ」というセリフが、子どもの心に深く刺さったみたいです…
映画の後にインターネットラジオのインタビューを受けた時、その子がこんな風に答えていました。
この地球には、人間だけじゃなくて、いろんな生き物が一緒に暮らしてる。
だから、他の命も大切にできるような大人になりたいです.
その言葉を聞いた瞬間、インタビュアーも映画館のスタッフの方も、もちろん私も、思わず目が潤んでしまいました。
なんて、優しいのでしょうか。
映画を通して、こんなにも深く命の尊さを学んで、優しい心で成長していく子どもたちの姿に、改めて感動しました。
「ママ、見てないから、赤信号だけど渡っちゃおうよ」
「バレなきゃ、大丈夫だよ」
もし、お子さんの口からそんな言葉が出てきたら、あなたはどう感じますか?
「そんなことは教えたつもりはないのに、どうして…」と、ショックを受けるかもしれません。
しかし、私たち大人は、日々の生活の中で、知らず知らずのうちに子どもたちに「悪いこと」を教えてしまっている瞬間があるのかもしれません。
「ちょっとくらいなら大丈夫」
「誰も見ていないから、いいじゃない」
そんな、大人の世界の「小さなごまかし」を、子どもたちは鋭く見ています。
この記事では、子どもたちの心に「誠実さ」という、一生揺らぐことのない道徳的な羅針盤をどう育むかについて、日本の古くからの美しい教えと共に考えていきたいと思います。
子どもは、私たちが思う以上に親のことをよく観察しています。 私たちが子どもに「正直でいなさい」と100回教えるよりも、私たちが正直に行動する姿を1回見せる方が、何倍も強い影響力を持ちます。
例えば、
これらは、大人にとっては些細なことかもしれません。 しかし、子どもたちの目には、
「ルールは、見つからなければ破ってもいい」
「自分の利益のためなら、小さな嘘は許されるもの」
「今日は、特別だからOK」という、
歪んだメッセージとして映ってしまう危険性があるのです。

では、私たちは子どもに、なぜ正直であるべきか、なぜルールを守るべきかを、どう伝えれば良いのでしょうか。
その答えのヒントが、日本の古くからの教えである「お天道(おてんとう)さまが、見ている」という言葉の中に隠されています。
これは、誰か特定の人が見ていなくても、『天の上から太陽があなたの行いをすべて見ていますよ』、という意味です。 この教えの本当に素晴らしいところは、「誰かに怒られるから、罰せられるから、やらない」という、他人の目を基準にした行動原理ではない、という点にあります。
そうではなく、「誰も見ていなくても、正しい行いをすること自体が、人間として尊いことなのだ」という、自分自身の心の中に「誠実さの基準」を育む教えなのです。 この「内なるお天道さま」を持つことこそが、どんな状況でも、人として恥ずかしくない道を選ぶための一生の羅針盤となります。
この道徳的な羅針盤を、家庭でどう育んでいけば良いのでしょうか。

親が完璧である必要は全くありません。
むしろ、親自身が「ごめんね、さっきお母さん、つい嘘をついちゃった。本当はこう言うべきだった」と、自分の失敗を正直に認め謝る姿を見せましょう。
その姿は、子どもにとって「正直であることは、かっこいいことなんだ」という、何よりの学びになります。
お子さんが、何かを壊してしまったけれど、正直に打ち明けてくれた時。
まずは、「隠さずに、正直に言ってくれてありがとう。その勇気が、お母さんは一番嬉しいよ」と、その誠実な「行動」を褒める。
そうすることで、子どもは「正直でいると、良いことがある」と学習します。
ルールを破りそうになった時、「ダメ!」と禁止するだけでなく、「もし、みんなが同じことをしたら、この公園はどうなっちゃうかな?」「もし、〇〇ちゃんが列に並んでいる時に、誰かに割り込まれたら、どんな気持ちがする?」と、その子の想像力に働きかけましょう。
他者の視点に立つことが、思いやりの心を育み、ルールを守る本当の意味を理解する助けとなります。
子どもたちを、すべての悪いことから守り、無菌室で育てることも、温室の中で一生を過ごすこともできません。
私たち親ができる最も大切な役割は、子どもたちが自分自身の力で善悪を判断し、たとえ誰も見ていなくても胸を張って正しい道を選べるような、「誠実な心」という名の「内なるお天道さま」を育む手助けをすることです。
その羅針盤さえあれば、子どもたちはどんな時代でも、どんな場所でも、人として豊かで、誇り高い人生を歩んでいけるはずです。
これまでの記事で、日本の学力低下の問題や、その対策として「紙の教科書」へと回帰したスウェーデンの事例をご紹介してきました。
関連記事:スマホ時代の必須スキル!情報に振り回されない「自分で考える力」を、子どもにどう身につけさせるか?
今回は、世界の教育をリードするもう一つの大国、アメリカに目を向けてみましょう。 実は、アメリカでも今、私たちと同じように、特に子どもの「読解力」の低下が、国家的な課題として深刻に受け止められています。
昨年行われたの全米学力調査(NAEP)の結果(*1)は、多くの教育関係者に衝撃を与えました。 試験を統括する全米教育統計センター(NCES)のペギー・カー委員は、「これは重大な懸念事項だ」と述べ、アメリカが今、読解力に関して極めて複雑な課題に直面していることを認めています。読解力過去20年最悪の結果が示されました。

この問題は、決して私たちにとって「遠い国の話」ではありません。 グローバル化とデジタル化という同じ潮流の中にいる日本の私たちにとって、アメリカの現状は、未来を映す鏡となるはずです。
なぜ、これほどまでに読解力が低下してしまったのでしょうか。 カー氏は「単にパンデミックが原因ではない」と指摘し、問題の根がより深いところにあることを示唆しています。専門家が指摘する、主な原因は2つあります。
一つ目は、趣味で読書をする生徒が、劇的に減っているという事実です。 スマートフォンで次から次へと流れてくる短い動画や、ゲームの刺激に比べ、一冊の本とじっくり向き合う時間は、子どもたちにとって退屈で、集中力のいる活動に感じられてしまうのかもしれません。 しかし、この「目的のない読書」の時間こそが、子どもの語彙力や想像力を豊かにし、読解力の土台を築く上で、何よりも重要なのです。
二つ目は、より深刻な問題です。
調査運営委員会のレズリー・マルドゥーン氏は、「基礎レベルに達しない小学4年生は、聞き慣れた単語でさえも、文章の文脈からその意味を判断することができない」と語ります。
これは、ただ単語を知っているか知らないか、という話ではありません。
文章全体の流れを追い、言葉と言葉の関係性を読み解き、「ここでは、この言葉はきっとこういう意味で使われているんだろうな」と類推する力、つまり「思考する力」そのものが失われていることを意味しています。
[写真:たくさんの本が並んだ図書館の書架の前で、どの本にしようか迷っている子どもの後ろ姿]
このアメリカの現状は、数年後の日本の姿と言っても過言ではないかもしれません。 では、情報が溢れ、読書離れが進むこの時代に、私たちは家庭で何ができるのでしょうか。
「本を読みなさい」と子どもに言う前に、読書が「楽しい時間」になるような環境を整えてみませんか。
例えば、週末の30分間、家族それぞれが好きな本を持ち寄り、リビングで静かに読書に没頭する「ファミリー読書タイム」を設ける。お気に入りの本について語り合う夕食会を開く。図書館を「宝探しの場所」と位置づけ、定期的に通う。 読書を「勉強」から切り離し、楽しい娯楽の一つとして捉え直す工夫が大切です。
文脈を読み解く力は、会話の中で最も自然に育まれます。 今日あった出来事について、「それで、どう思ったの?」と子どもの感情や考えを深く掘り下げて聞いてあげる。少し難しい言葉や、豊かな表現を、大人が意識して日常会話で使う。ラジオなどオーディオブックスなど、たくさんの「言葉のシャワー」を浴びることが、言葉への感性を磨き、文章全体の意味を捉える力を養います。
本を読んだ後、「面白かったね」で終わらせず、新しい言葉や意味が曖昧なものは、積極的に辞書で調べる習慣を身につける。まぁはすの学習支援では、徹底的に「この言葉、どういう意味だろう?」と、知らない言葉に出会った時に、言葉の意味をちゃんと調べることを子どもたちに課しています。こうすることで、読解力が飛躍的に上がります。
関連記事:タウンニュース子育て応援コラム24 「国語力」の高め方 その2
未来を拓く力は、一冊の本から
読解力の低下は、アメリカだけの問題ではなく、デジタル時代を生きる世界共通の課題です。 そして、その解決の鍵は、特別な教材やメソッドにあるのではなく、一冊の本を間に挟んで、親子が対話し、共に考える、温かい日常の時間の中にあります。
子どもたちが豊かな言葉の世界と出会い、自分の頭で深く考える喜びを知ること。 そのサポートこそが、変化の激しい未来を生き抜くための、最高の贈り物になるはずです。
【出典元】
では、この「非認知能力」は、どうすれば育つのでしょうか。ドリルや塾では身につきません。その答えが、文部科学省も重視する「リアルな体験」や「読書」の中に答えがありそうです。
今回は、海外の教育でも注目されている、一歩進んだアプローチをご紹介します。
体験①
「家族で社会貢献」プロジェクトを立ち上げる

欧米の教育で重視されるのが、子ども自身が社会課題を見つけ、解決に貢献する「サービスラーニング」です。
夏休みを利用して、家族で小さな社会貢献プロジェクトを企画してみましょう。
例えば、「近所の公園のゴミ拾い」から始め、「なぜゴミが減らないのか?」を親子で話し合い、「ゴミを減らすためのポスターを作って、公園に貼らせてもらう」まで発展させる。 この一連の活動は、社会の一員としての当事者意識(積極性)、課題解決のための計画性(自律性)、そして地域を思う利他の心(協調性)を育む、最高の学びになるでしょう。
体験②
「おうちで異文化体験」を企画・実行する

今や、海外旅行をしなくても、簡単に世界と繋がることはできるようになりました。
そこで、お子さんに「今週は〇〇(国名)ウィークにしよう!」と提案し、企画の主導権を渡してみてはいかがでしょうか。
お子さん自身が、タブレットでその国の料理を調べ、一緒にスーパーへ買い出しに行き、食卓ではその国の音楽を流す。簡単な挨拶を覚え、家族に教える。
実は、以前、まぁはすでは英語とおやつ時間を掛け合わせて取り組んでいたことがあります。
この体験は、単なる楽しみではありません。
多様な文化を尊重する心はもちろん、情報収集能力、プレゼンテーション能力、そして家族を楽しませるというおもてなしの心(自己肯定感)を、楽しみながら学ぶことができます。子どもたちの興味関心も広がります。
体験③
親子で「哲学対話」の時間を持つ

フランスの哲学教育「バカロレア」のように、答えのない問いについてじっくり語り合う時間も非常に有効です。かの地では、3歳から幼稚園や保育園で取り組まれています。おかげで、子どもたちは、自分を知ることに加えて、自分とは異なった考えをする人がいるということを小さな頃から身につけていけるのです。
「でも、『哲学』って、なんだから堅苦しくって難しそう。」と感じてしまう方も多いのが近年の日本だと言われています。
しかし、まったく難しく考える必要はありません。
なにしろ、まぁはすでは、毎日のように行なっているのですからー
何か疑問が浮かんだ時、問題が起きた時、みんなで知恵を出し合うのです。
そうした経験を積みながら、少しずつ、自分はどう考えるのか。どう思うのか。自分だったらどうするのか。子どもたちは内省をしていく練習をしているのです。
「本当の『友達』って何だろう?」
「『優しい』って、どういうことだと思う?」
あるいは、テレビや新聞、本に出てくるテーマを取り上げてもいいですね。
こうした問いに、親は正解を伝える必要はありません。正解は時代とともに流れていくのですから。それ以上に大切なことは、「あなたはどう思う?」と問いかけ、子どもの言葉に最後まで耳を傾ける。その上で、「お父さん(お母さん)は、こう思うな」と、一人の人間として自分の考えを伝える。
たったこれだけでいいのです。
この対話のキャッチボールが、論理的思考力、他者の意見を聞く傾聴力や観察力、そして自分の考えを言葉にする表現力を豊かに育てていきます。
子どもに、自ら考え、行動できる大人へと成長してほしいと願うだけでなく、ぜひ、私たち親も、子どもが自らの考えをもてるように行動に移していきましょう。

I had the good fortune to travel in over 100 countries.
As I consulted an opportunity to work with many decision makers, and helping to improve their results.
My goal to support improvement of children’s education.
I have seen many companies and governments struggle to give their children excellent education and taking excellent care of their children.
Until this time, as I visited in Yokohama, I saw I observed the high quality and
results of the Mahasu’s program.
The course improved children’s identity, humanities and knowledge.
This created very balanced and emotional strong children.
It is as easy as taking materials our box and children learn to study.
I encouraged to seriously consider those programs to use in your classroom.
Roice N. Krueger
Honorary Advisor
<hr />
(意訳)
私はこれまでに、100以上の国を旅するという幸運に恵まれました。
そして、多くの意思決定者と一緒に仕事をする機会があり、彼らにより良い結果を出すための手助けをしてきました。
私の目標は、子どもたちの教育を改善することです。
なぜならば、多くの企業や政府が、彼らに優れた教育を提供し、素晴らしい大人へと導くことに苦労しているのを見てきたからです。
今回、横浜にある、まぁはすを訪れた際、彼らのプログラムの質の高さに驚きました。
彼らのプログラムは、子どもたちの個性や人間性、さらに知識を向上しており、どの子もバランスの取れた感情豊かな子どもへと成長をしているのです。
箱から教材を取り出すだけで、子どもたちが自然と学習できるように作り込まれているのです。
つまり、教育の現場では、子どもの興味関心を引き出し、主体的な学びを促すことが求められます。
教材の準備をはじめ、子ども一人ひとりのニーズに寄り添いながら、最適な学習環境を整え、提供していく必要があります。そのプログラムが、まぁはすにはあるのです。
ですから、私は、このプログラムをクラスで活用することを真剣に検討していただきたいと考えています。
ロイス N. クルーガー
名誉アドバイザー
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