大手企業に就職した娘は、わずか3年で「私は、何のために生きているのかわからなくなった」と、私たちに何も告げずに会社を辞めてしまった。
数日後、その事実を知った夫と、激しい口論になった。

叱責する夫に、これまで一度も反発したことのなかった娘が、突然、こう言った。
「私は、今まで、学校も会社も、全部親の言う通りにしてきた。上司からも、『どんな世界でも、石の上にも三年』と教えられ、納得できないことも我慢して頑張ってきた。
でも、3年経って、上司に進言しても『君は女だから』と、まともに取り合ってもらえなかった。
同期も皆、『しょうがない』と諦めている。私は、こんな人生を生きるために生まれてきたんじゃない!
パパだって、会社の愚痴ばかり言ってるじゃない!そんなの、おかしいよ!お金のために、自分の幸せや身体を犠牲にしていいの?」
夫は、手の甲が真っ白になるほど握りしめ、歯を食いしばって言葉を堪えている。相当なショックを受けているのが伝わってきた。
それでも、娘は言葉を続けた。
「自分が何をしたいのかわからなくなった。大学の短期留学で出会った人たちは、みんなイキイキと自分の人生を語っていた。私も、あの頃のみんなに会いたい。だから、会社を辞めたの」
『会社を辞めた?』
雷が落ちたかのような衝撃だった。娘が、どれほど悩み、苦しんでいたのか。私たちは、何も知らなかった。娘は、自分の喜びよりも、親の期待に応える人生を生きていたのだ。私が望んでいたのは、娘が「幸せになる」ことだった。でも、「幸せ」の定義が狭すぎた。
『幸せ』とは、自分らしく生きること
私たち夫婦は、大企業に入り、安定した人生を歩むことが幸せだと信じて疑わなかった。
しかし、娘にとって、私たちの考えは間違っていた。
「私は、自分の本心を知りたかった。でも、そんな時間はどこにもなかった。次々と与えられることをこなすだけ。社会に出ても、それは何も変わらない」
娘の言葉は、私の心にも、夫の心にも、深く突き刺さった。夫は、娘の顔も見ずに、私の隣でただ立ち尽くしていた。
一方的に切られたスマホを眺めながら、どうやったら、もっと娘の気持ちを受け止め、一緒に考えてあげられたのだろうかと考える。
成績も、進路も、確かに大切だ。 でも、それ以上に大切なのは、娘が自分らしく生きること。
『自分らしく生きる』
私だって、今の自分は自分らしく生きている。でも、それは娘の考える生き方とは随分と異なるようだ。
私は、結婚を機に退職をして、翌年に娘が生まれた。仕事に忙しい夫に家事や育児の心配をかけないように、家族が健康で過ごせるように努めるのが女性の生き方なのだと、今でも思う。
私は、古い女なのかもしれない。でも、私の周りにはそうした女性が多いのも事実だ。
先日、久しぶりに同期の友人たちとランチをした時、独身を貫いて働いている友人Aが寂しそうに言った言葉が頭によぎった。
「結婚した女性が男性同様に働くのは無理よ。だって、会議だ、出張だと、接待だとなれば、当然ながら家庭を顧みずに仕事をしなければならない。結婚しても続けている先輩たちは親か、ベビーシッターに子どもの面倒を見てもらっている。でもね。その子どもたちとの関係を聞くと、決して良い関係とは言えないのよ。だから、私は結婚には踏み切れなかったの。でも、この歳になると思うことはたくさんある。」
働き続けている先輩と、その子どもとの関係はよくない。

私は仕事を辞め専業主婦を選んだにも関わらず、娘との関係は良いどころか最低だ。
何がいけなかったのかー
どうすればよかったのかー
娘は、自分が輝いていた「あの時」を取り戻すかのように、学び直している。さっきの口ぶりでは楽しんでいるようだ。
日本を旅立つ前夜。
少しは娘との関係を戻してもらおうと思い声をかけたけれど、あの日以来、夫は貝のように心を閉ざし、娘と目を合わせようともしなかった。
あんなに仲の良かった父娘なのに…。
続く。


