—ある中学受験フェアで出会った、二組の親子ー
先日、中学受験のフェア会場で、10組の親子へのインタビューをしました。
その中の二組のことが、どうしても忘れられずにいます。今日は、そこから私が考えたことを、少しだけお話しさせていただきます。
「農家になりたい」と言った男の子
お母さんが「子どもの夢を叶えてあげたくて」とおっしゃるので、その子に夢を尋ねてみました。すると、「ぼく、将来は農家になりたいんです」。「わー、なんてすてきな夢ですね!そのために中学受験を?」と聞くと、その子は、お母さんの顔を見ながら、「うん。いい中学に入れば、いっぱい勉強できるんだよね?」と言いました。
私は、「東大や京大を出てから農家になった方を何人も知っています。だから、たくさん学べたらいいね」と伝え、さらに話を続けようとしたその時——
お母さんが、そっとその子の手を引いて、行ってしまわれました。
「正直、よくわからないんです」と言ったお父さん
もう一組は、お父さんと来ていた男の子。「将来、家庭で使うロボットを作りたい」と、目を輝かせていました。私が中国やアメリカのロボットの最新のお話を伝えているそばで、お父さんがぽつりと言いました。「実は受験は、妻の勧めで……。正直、僕にはよくわからないんです」。
誤解しないでくださいね。私は、このお母さんやお父さんを責めたいのではありません。おふたりとも、わが子の幸せを心から願っているだけなのです。ただ、その願いが、いつのまにか「一番になること」だけに向いてしまう——そんな空気が、今の子育てを静かに包んでいる気がして、胸がざわついたのです。
一番になることが、子育てのゴールなのでしょうか?
塾に入れば、まわりはみんなライバルになります。
どんなに先生が「一緒にがんばろう」と励ましても、狭き門である以上、全員が第一志望に入れるわけではありません。その競争の中で、「農家になりたい」「ロボットを作りたい」という、その子だけの光はいつしか脇に置かれていく。
私たちは、子どもの何を伸ばそうとしているのでしょう。点数でしょうか。それとも、その子の内側にすでにある、夢や優しさなのでしょうか。
もちろん、学ぶことは尊いことです。知識はあったほうがいい。中学受験そのものを否定したいのではありません。しかし、10組の親子のインタビューを通して見えたのが、「いい学校に入ること」が目的の全部になってしまうと、その子が本当は何にわくわくするのか、どんな大人になりたいのか——いちばん大切な芯が、置き去りになってしまう。
そのことは、立ち止まって考えてみたいのです。
脇目も降らずに、チェックした学校のテーブルに向かう親を、子どもが必死に後からついていくをの後ろ姿を見守りながらー
日本は、「個の一番」で勝ってきたわけではありません。
少し視点を変えます。実は日本という国は、”個で一番”を競って世界を支えてきたわけではありません。たとえば今、世界中のAIを動かす半導体。その心臓部に欠かせない材料や装置の多くを、日本の企業が縁の下で支えています。派手な主役ではなく、なくてはならない土台としてです。最近では、たくさんの知恵を組み合わせて協力させる、という発想のAI開発企業、「sakana.ai」が日本から生まれました。
一人で一番を取ることより、それぞれの持ち味を持ち寄って支え合う。日本が本当に得意としてきたのは、こうした力なのではないでしょうか。
「お互いさま」を覚えていますか?
過去を遡って調べると、日本の子どもたちは昔から、暮らしの中で人を思いやる力、感謝の心、自分にできることを行うことに重きを置きながら育てていたことがわかります。まぁはすでも大切にしている「江戸しぐさ」には、「お互いさま」や「譲り合い」の心があります。両隣と向こう三軒の前をほうきで掃く、小さい子どもの面倒を見る、お風呂の火をくべる、ご飯の用意をする、野菜を育てたり魚を取ったり、家事を手伝うのが子どもの仕事でした。靴を揃える、箸をていねいに扱う——そうしたことの全ては、日々の生活そのものから体で覚えていく環境がありました。
いつの頃から私たちは、それを「当たり前」ではなくしてしまったのでしょう。どうして、手放してしまったのでしょうか。いつの時代であっても、人として生きるために必要な強さは、たった一人で勝ち抜く力よりも、人と支え合える力——「徳性」「感性」その土台の上に「知性」なのだと、私は考えて取り組んでいます。
まぁはすでも、こんな場面によく出会います。料理の時間、包丁が苦手な子のとなりで、別の子がそっと野菜を押さえてあげる。先輩から教えてもらったことを後輩に伝えていく。それは、私たちが命令したからではありません。誰に言われたわけでもなく、です。
競争では決して育たない、その小さな手助けの中にこそ、私はこれからの子どもたちの希望を見ています。
最後に・・・
日本の出生数が減り続けていることが問題になっています。その根っこには、いろいろな理由があるでしょう。経済のこと、働き方のこと、生き方のこと。到底、ひとつには絞れません。その前に、子どもを持つことが「競争を勝ち抜かせるための、重い投資」になってしまったとしたら——それは少し、さびしいことだと思うのです。私がサラリーマン時代に、何人もの女性たちが「子どもは産まない」と、話をしていました。理由は、「子育てのプレシャーを感じたくない」「自分と同じように窮屈な思いをさせたくない」。そうした彼女たちに向かって、真剣に「私は産みたい」と伝えたら心底驚かれたものです。何しろ、彼女たち以上にモーレツな働きバチの私がいうのですから、驚くのも無理はありません。しかし、私が予想した通り、少子化が進み、社会の構造へ影響が出るほどの問題となりました。
足すのではなく、すでに持って生まれてきたものに光と水を。
一番を目指す子育てから、支え合う子育てへ。その小さな問いを分かち合えたらいいなと思います。
