お世話になっている、横浜国立大学教育学部 学校教員養成課程の小林先生からご連絡をいただいたのが、今年の6月。
実は、2016年にも同コンペには出展をし、その時は、子どもたちの頑張りで努力賞をいただきました。その時に作ったのが、下の写真「まぁはす号」です。
当時は、小林先生からの連絡を受けた時に、子どもたちから出たのは、”みんなで楽しく笑顔になる遊びモノを作りたい!”という声でした。『決めたからにはやる』それだけではありません。完璧を目指すのも当時の子どもたちの特徴でした。
実は、子どもって、チームで取り組むことが好きなんです。
そうした機会を提供すれば、子どもたちは勝手にすばらしい能力を発揮するのです。連日、白熱した話し合いが行われていました。デザインも自分たちで考え、ダンボールで何度も試作品を作りました。小競り合いもあったり、すてきなアイディアに拍手をしたりー。
自分たちではわからないことは、積極的に小林先生からアドバイスを引き出し、どんどんと取り入れていきました。
共同作業の機会は、人の可能性を広げる絶好の機会
『まぁはす号』の想いは、先輩たちから後輩たちへと伝承され、そのおかげで今でも大切に使われています。時々、小さなお客さまが”雑”に扱ったものならば、さぁ大変。みんなが、「大切に使おうね」と、小さな子どもにもわかるように優しく教えます。その真剣な眼差しを見たら、誰もが丁寧に扱うようになるのですから、子どもってすばらしいですよね。
コロナ前から、後輩たちは、「自分たちも”何か”作ってみたい!」という思いは持っていました。しかし、集団行動が止められ、ソーシャルディスタンスが叫ばれている社会からの無言の圧力を受けている子どもたちは口に出せずにいました。そばにいた私は、子どもたちが窮屈な思いをしていることを知っています。そのため、今回、小林先生からご連絡をいただいた時には間髪入れずに、「やる!」という一択だったのです。その声の力強さと大きさに思わず私がのけぞってしまうほどでした。
「ようやく、自分たちの番が来た!」
ところが、すでに『まぁはす号』に携わったメンバーは在籍していません。さぁ、一体、何から始めればいいのか、さっぱりわかりません。「やる!」と、元気よく言ったものの、どうしたらいいの???子どもたちの視線が、私に注がれました。しかし、私は「想像してみてごらん」と、ヒントも出さずに、しばらく彼らの行動を観察することにしました。
まずは、自分たちで考える
最近、特に感じるのは、子どもたちに考える力を身につけてほしいと願っているにもかかわらず、安易に答えやヒントを与えてる、聞けばなんでも教えてくれるドラえもんが増えているように感じます。まるで、のび太くん製造機のようにー
子どもたちは、想像力も好奇心も、大人の何十倍、もしかしたら何萬倍も持ち合わせているにもかかわらずです。その力を出させないのは、もったいないと思いませんか?
1週間が過ぎ、2週間が過ぎた頃ー
子どもたちは、ちーっとも動き出しません。
こういう時は大人が根負けしちゃいます。。。しかたがなく、「やらないならば、お断りしようか?」と、声をかけました。すると、どうでしょう。「やりたいんだけど、どうやっていいのかがわからない」という言葉が飛び出したのです。
これには驚きました。この言葉を「まぁはす号」を作った先輩たちが聞いたら、なんというでしょう。学校での算数や図工を用いればいいのですが、学びを実生活に結びつける力が弱っているのですね。それならば、その力を甦らせればいい!子どもたちは、日々たくさんのことを教えてくれます。
なぜなら、、、
眠っている潜在能力を発揮する機会は、まぁはすにはたんまりと用意されているのですからー
まずは、モノを作る手順を教え、先輩たちがどのように作ったのかを伝えました。
低学年も長さの勉強は終えていますので、実際の合板1枚の大きさの1/10サイズで紙に書くことはできます。それが終わったら、今度はダンボールで試作品つくりです。近所のスーパーに行きダンボールを調達してきます。
ここで、一つ問題が起きました。
最近のダンボールは軽量化の影響で、とても薄いのです。1枚だけでは強度が足らず、1箇所に5枚のダンボールを使う必要があるのことがわかったのです。さぁ大変!1枚作るだけでも大事なのに5枚も切る!
さすがに、子どもたちから悲鳴の声が上がりました。私の顔を見つめる低学年に、もちろん私はスルーです。やると決めたのは一人ひとりの子どもですから、途中でやめるのも、完成を目指すのも、すべては”自分”で決めるのです。
「辞めてもいいのよ」という言葉を使うのは簡単ですが、そうすると子どもの最後までやり抜く力、「完遂力」を身につけることは難しいでしょう。
周囲で真剣に取り組んでいる仲間の顔を見て、自分だけ「やめた」という子どもは、かつて見たことはありません。そこが、仲間で取り組むことの良さでもあるのです。
最近、個々の力を伸ばす機会ばかりが目立っているようにも感じます。それはそれで大いに結構なことです。しかし、肝心なことを忘れていませんか?
「自分の能力」を育む目的です。
能力は、他者のために発揮してこそ生かされるのです。ところが、個々の能力は高まったのに、それが「チーム」となった時に生かされていない。その結果、多くの組織で「チーム力の強化」が取り沙汰されるようになったのです。あまりにも「自分が先」という人が増えたがためにチームで力を能力を発揮できる人が減った証ですね。なぜ「チーム力」が大切なのかは言うまでもないでしょう。
実は、子どもたち以上に、私たちがこの機会を楽しみにしているのです。
いろんな考えや思いを吐き出して本気で仲間にぶつける。そうしながら、自分で相手や仲間と折り合いをつけていく。こうした取り組みは、学校では難しいことは授業を見ずともわかります。いじめの問題が深刻になってきているため学校で行うことは避ける傾向にもあるのです。高学年で取り組み始めている「ディペート」の授業は、決して本来の姿ではありません。意見を戦わせることになんらメリットはありません。意見の違いを自分の中に落とし込み、その上で自分の考えを考え抜き、相手と折り合いをつけていく。そこに妥協もなければ、意見を押しつける必要はありません。意見が違うのであれば、その点においては考えが違うということがわかり、一旦、保留にしておけばいいのです。
時々、ディペートの授業がイヤでイライラするという子どもの声も上がっています。仲のいい子どもと強制的に別のグループに分けられて、意見の違いを言い争うのが学校現場で行われている形式です。それは本来のものとかけ離れてしまっています。そのため、子どもたちの話を聞きながら、本来の目的を伝えクールダウンをさせます。フォローしなければ、クラスで仲のいいお友だちと疎遠になってしまう可能性があるのです。子どもたちがディペートをイヤがるのはそのためなのです。
本気でぶつかったり、意見の違いを知る。その上で、どうすれば良いかを考え抜く。
保留にするか、あるいは交渉をするか。
とても大切なことですが、残念ながら、子どもたちが社会に出るまでに身につける機会も減っています。
もったいないと思いませんか?
さて、取り組みながらも、待ちに待った夏休みが始まりました。この間、子どもたちは”他の”いろんなプログラムも体験をします。そうしていくうちに、体験したことを作品に反映させていく思考回路が作り出されていきました。
「ここは、こうしたらどう?」「これ、使えそうじゃない?」声のトーンもどんどんと上がり、表情も豊かになっていきました。
なにしろ、まぁはすでは、ヒントは与えるけれど、ひたすら自分の頭で考えなければなりません。眠っている能力は自然に動き出すのです。
パッチワークの新井先生にもお知恵をお借りします。図鑑を見ていた子どもが水の動きからヒントをもらいビーズを使って再現することも閃きました。その度に、大変な作業が加わりますが、子どもたちはイヤな顔もせずに(途中で「もうーーーー!」と、牛になることがありましたが)、「やるよ!」と、互いに励まし合いながら、がんばっていました。
夏休みは、ご家庭での予定もありますので、全員が揃うことは滅多にありません。その日集まったメンバーが力を合わせて取り組んでいる姿は、凛々しいを超えて、神々しい。特に高学年が低学年を宥める声が変わっていきました。「ほら、そんなことは言わないの。みんなで力を合わせてやると決めたんだからね。少しずつでもやろうね。」や「ほら、やるぞー!」など。自分たちが言われてきた言葉を次々に低学年に投げかける。これが、まぁはすの大切にしている「できる人は、できない人ができるように教える」という姿でもあるのです。それがきちんと発揮できるようになったことも嬉しいですね。
「先輩たちが色を作ったのならば、自分たちにもできないはずはない!」こんなたくましい声も出ていました。
総時間:25時間以上。
みんなで力を合わせたからこそ見える風景が変わったのです。
個々の能力はもちろん、チーム力が格段に上がりました。